遠藤雅伸氏が『ゼビウス』開発秘話とゲーム業界を語る
バンダイナムコエンターテインメントが展開する「カタログIPオープン化プロジェクト」をご存じだろうか?
『パックマン』や『マッピー』をはじめとする、かつて人気を博した懐かしの21タイトルを日本国内のクリエイターに開放し、幅広い発想でスマホゲームなどを活用してもらいたいと企画されたもの。
ここから生まれた新作スマホゲームは40タイトルを超え、さらに続々と新作が登場している。
その1つとして注目を集めた新作『ゼビウス ガンプの謎はすべて解けた』は、オリジナル版を再現したモードと新規ステージを楽しめるモードの2つが搭載されている。
また、ちょっとしたアレンジとして、ゲーム画面がクォータービューに変更(※)。しかし、本来の『ゼビウス』が持つキャラクター性などはきちんと再現されている。
今回、オリジナル版の『ゼビウス』が開発された当時の話題を中心に、その生みの親である遠藤雅伸氏にインタビューを行った。
遠藤雅伸氏 プロフィール
1981年に当時のナムコに入社し、『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』『グロブダー』などを手掛けて大ヒットを飛ばす。
1985年には自身で株式会社ゲームスタジオを設立し、『イシターの復活』『カイの冒険』『ザ・ブルークリスタルロッド』を制作。
さらに、『ファミリーサーキット』や『天下一武士 ケルナグール』『機動戦士Zガンダム・ホットスクランブル』など、幅広いジャンルのゲームを世に送り出してきた。
現在は、東京工芸大学の芸術学部ゲーム学科の教授として学生を指導するかたわら、日本デジタルゲーム学会理事研究委員長、宮城大学客員教授、Japan Game Music Orchestra(JAGMO)名誉会長、CEDEC運営委員を務めている。
また、自ら大学院で博士号を取得することを目標に日々研さんを積んでいる。
独自の世界観によって形作られた『ゼビウス』
――本日はよろしくお願いします。『ゼビウス ガンプの謎はすべて解けた』はプレイされましたか?
いえ全然。存在すら知りませんでした。
――実際にご覧になっていかがですか?
何でグラフィックのクオリティーをもっと上げないんだろう? まあ、当時の思い出を補正するものなので、仕方がないですけれど。
でも、このような形で、当時のものをいろいろと追従して作ってくれるのはありがたいですね。
――あのころは、シューティングゲームでありながら、しっかりと世界観を作り込んだタイトルはほかにありませんでした。これは開発チームの狙いだったのでしょうか。
基本的には、当時のシューティングゲームとしての文法に対して「理論武装」がほしかったというのが1点ですね。
『スペースインベーダー』もそうですが、そのころのシューティングゲームのほとんどで、敵がこちらの射線の前に整列しているんですよ。おかしいですよね?
敵は撃ったら逃げます。逃げたいんですよ。
「なんでで敵が攻めてくるんですか?」「なんで特攻してくるんですか、命は惜しくないんですか?」といった疑問に対して、『ゼビウス』はすべてそれを否定する方向で考えていました。
――有人機はすぐに画面から離脱して、無人機は突っ込んでくるという話もありました。
そういう設定をきちんとすることによって、初めて世界観が構築できる。これは今考えてみると、ナラティブなんですね。
ナラティブとは物語のことです。ゲームの中でそういった細かな設定が分かることはないけれど、それを情報として与えることによって、受け手の中に物語が作られていくっていうのが、ナラティブ手法そのものなんです。
日本のゲーム業界はナラティブの扱いが諸外国に比べて遅れているなんて言われますが、それをナラティブだっていわないだけ。『ドラゴンクエスト』などでも同じことをやっていて、「みんなもう使っているよ」と。
『ゼビウス』もそういったナラティブ手法の走りだったと考えればいいと思います。
――プレイヤーが遊んでみて、いろいろと想像を働かせるところも魅力の1つだったというわけですね。
そのへんは、当時のナムコが考えていた会社としての方針も関係しています。
『ゼビウス』自体は、もともとがB級作品なんです。マーケティング分析からゲーム内容があらかじめ決まっていて、それに対してさほど売り上げも期待されていない。
ただ、そういったゲームもラインナップとして持っていたほうがいいというタイプの作品でした。
逆にいうと、そこを利用して好きに作らせてもらえました。担当者レベルでいろいろテーマを作ったり、新しいトライができたりっていうところで、会社としての懐の広さがあの作品を生んでいるなあという感じで。
――その考え方は、当時のスタッフの間で共有されていたんでしょうか?
スタッフ自体少なかったので(笑)。担当者レベルで「できることは何でもやっちゃおう」みたいな感じでした。
その後にいろいろな人がチームに参加してきたんですが、結局のところ僕はわがままだったので、先輩たちは苦労したと思いますよ(笑)。
――音楽も特徴的ですよね。効果音がメインで、当時は珍しいと思っていたのですが。制作側としてはどのような意図だったのでしょうか。
プレイヤーが撃つ相手が何なのかということですね。戦うことの悲惨なみたいなものを、表現しなくて済むように。
わりと軽い気持ちで遊べるようにとは考えていました。ポップなので、あまり敵を殺していく感じはないはずです。
そうすることによって、無機的で、重々しさを感じないような仕掛けになればいいかなと考えていました。
ユーザーのコミュニティー育成も情報の出し方次第
――当時のプロモーション展開の中で、ゲームセンターの各店舗でいろんな情報のつまった冊子が配布されていました。そういったところから得られる情報というのも、ファンとしては楽しみでした。
最初に作られたのは「ディグショナリー」という冊子で、『ディグダグ』の攻略法をまとめたものでした。
僕がナムコに入社したとき、プログラムも書けないし、何もやることがなくて『ディグダグ』のデバッグをやっていました。そのときに書いていたメモのようなものを冊子にまとめたのが、その「ディグショナリー」なんです。
リスト用紙にいろいろと書き込んで、敵が壁を通り抜けるときの現象を「メヘンゲ(目変化)」とかって勝手にネーミングしたり。
そんな攻略本的なものを全部、自分で書いていました。それをたまたま視察に来た中村社長が見て、「これは面白いな、誰が書いたんだ?」と。
それで「遠藤です」「遠藤かー、面白そうだから、これは何らかの形にしろ」というやり取りがあって、あの冊子ができました。
――そんな経緯があったんですね。あのころは、ノーヒントでクリアしなければならないゲームがけっこうあって、まさに『ドルアーガの塔』などもそうでしたが、友だちと情報を教え合ったりするのもすごく楽しみでした。
あれはコミュニケーション、というかコミュニティーの形成に大きくかかわっていると思うんです。『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』が盛り上がったのも、情報が断片的に与えられていたというのが理由の1つではないですか?
コミュニティーの形成と成長というのも含めて、ナラティブ的なものとして発展してきたなと思っています。今考えれば、ね(笑)。当時はそんなことは欠片も分かっていなかった。
――無我夢中でやっていた感じですか。
そうですね。プレイヤーが皆で協力してミニコミ誌を作ったりして、いろいろと活動して。
そういった行動のパターン……どういったものを面白いと思ってくれて、そのための情報発信のやり方を、どのように工夫するのかというのも頭を悩ませました。店舗ごとにプレイヤーが書き込めるコミュニケーションノートが用意してあって、そこで攻略していったり。
今ならネット上のWikiでやることですけれど、そういった文化みたいなものが当時も醸成されつつありました。これは日本独自の出来事なので、それこそが日本のゲームを形作った要因の1つというか、重要なパーツだったと思います。
――コミュニケーションノートの話がありましたが、今はネットでの情報共有によって攻略のスピードがすごく早くなっています。
そのおかげで、ゲームの「謎」のほうも、極めて難易度が高いものを提供していくようになっていますね(笑)。
――そうなると、初心者の方には厳しいですね。
それはかまわないと思うんです。
これは僕が提唱していることですが、ゲームの面白さの中には「トレース」といって、あらかじめ持っているイメージと同じような形でゲームがプレイできたときに、ユーザーはより面白さを感じるというのがあります。
古式ゆかしいRPGファンの方たちは「自分で謎を解いてこそのRPGだ」と考えているでしょうが、一般的な実態は全然違っていて、RPGはは攻略本を買って、それを見ながら遊ぶものというスタイルこそが主流です。
これは、「攻略本というイメージに対して、そのとおりにプレイしていくことこそが面白さである」という考えかもしれません。いってしまえば「ゲームの戦闘部分とかいらねえんじゃねえの?」ってことですね。
まあ、戦闘のないRPGを作るっていうのは、それはそれですごく面白いと思うんですけれど。
まだ誰もトライしていないけれど、やるべきですね。イベントを何か1つこなすと「レベルアップ」っていうボタンが出現して、戦闘を1回もしていないのに「ジャジャーン」とレベルアップする。そのようなものでいいと思うんです。
ゲーム実況は今後もさらに流行る!?
――ほかの人のプレイをなぞるというお話がありましたが、私は友だちのゲームプレイを眺めながら「ああだこうだ」とおしゃべりするのが大好きで、実はそういう文化もあるんじゃないか思うのですが。
そうですよね。特に大型筐体の体感ゲームあたりからは、完全に「魅せるためのプレイ」っていうのが出てきました。
『スペースハリアー』などは、その最たる例ですね。あれがいちばん最初じゃないかな? 後ろで見ている人に対して自分のプレイを見せて、面白がってもらうという。
――そういった文化が、最近のゲーム実況動画などにつながっているかもしれません。
『DDR(DanceDanceRevolution)』なんかも、明らかに魅せるためのプレイを目的としたものですね。ほかにも、『maimai』のように動画配信の機能が最初から搭載されているものまであるので。
僕の研究室でも、ゲーム実況に関する研究をやっている学生がいます。ゲーム実況をなぜ見るのか?
一般的には、「プレイしないでゲーム内容を理解するため」のようにとらえられているじゃないですか。でも実際に調査してみたらこれが違っていて、実況自体が楽しいから見ているという人が多かった。
実況を見ることによってプレイする手間を省くということはなくて、どちらかというとそれを参考にゲームを買っている人のほうが多いという結果が出たんです。
実況というのはゲームを遊んでいる様子を見て、それをきっかけに自分もプレイしたくなるという方向性が強いのだろうと感じます。
ゲーム実況についても、攻略本を見ながらRPGを遊ぶ人が多くなったのと同じようになるのでは? というのが、調査を進める中で少し見えてきた部分です。
だから、実況動画を端からつぶしていくメーカーなんかは「バカなことをしているな」と、やっといえるようになったわけです(笑)。
――Game Deetsでも各メーカーの協力を得て、ゲームの攻略動画などを公開しています。
そちらの方がよほど健全ですね。プロモーションにつながると思います。
課金の重みは人それぞれ
――以前、『ドルアーガの塔』がPCオンラインゲームとしてサービスされていました。遠藤さん自身もプレイヤーとして参加されていたと聞いています。
あのときはいろいろなトライをさせていただきました。MMORPGというものを勉強させてもらいましたね。
――MMORPGを遊んだのは、その『ドルアーガの塔 ~the Phantom of GILGAMESH~』が初めてですか?
いや、そんなことはないですよ。いろいろやっているんですけれど、MMOってなんか……ダメなときはダメじゃないですか(笑)。やっていて途中で飽きちゃうんですよ。
『ドルアーガの塔 ~the Phantom of GILGAMESH~』は「しょうがないから、やるか」と、半分飽きながらもプレイしていました。
――遠藤さんが参加されたことで、かなり盛り上がったのではないかと。ファンとしてはうれしかったと思います。
盛り上がったり、盛り上がらなかったりですね(笑)。コミュニティーの形がかなり変なゲームでした。
僕はバーチャルなコミュニティーよりもリアルなコミュニティーのほうが好きなので、直接オフ会なんかやってみたりした中で、また別の面白さを発見することもありました。
それと、人間の課金に対する姿勢みたいなものが、すごく勉強になりました。
――課金しない人が8~9割で、残りの1割でサービスを支えているなんてことがよくいわれています。
そうなんです、それでいいんですよ。最初は「なんで?」という気持ちもあったのですが。
ゲームの中で僕も商品企画みたいなものを多少やらせてもらいました。ブランドものみたいなイメージで有料アイテムを販売したんです。
当時、ゲーム内に白い系統の鎧がなかったんですね。それで白系の鎧や服を作って「イシターセット」っていう名前で出しした。ひとそろいで5万円。
これ、完全にネタなんですよ! 「一式5万円なんて、こんなバカなのを買うやついねーよ(笑)」って思いながら。
見た目だけでまったく効果のないアイテムだったので、そのまま笑い飛ばしてくれるものと考えていたのですが、ある日プレイしていたら「あれ? その鎧どうしたの?」「いいでしょう、買ったんです」と。
「マジ! 買っちゃうヤツいるんだ!!」って、驚きましたね。
――やはり、ほしい人は買ってしまいますよね。
とんでもなく高くて、決して買えない金額ではなかったということです。手が届いてしまう値段。もっと出せる人も、いっぱいいます。だから、人間のお金に対する感覚って、本当にそれぞれの稼ぎによって違うっていうのが分かりました。
例えば、新宿でお酒を飲んいでるときに「どこにいるの? 渋谷? おう来いよ」なんて、気軽にいいますよね。そんなとき、電車賃って計算に入っていないんです。でも、中にはそれが高いと感じる人もいます。
逆に、「今カリフォルニアにいるんだよ、ファーストクラスを取っておいたから来いよ」みたいに、飛行機のファーストクラスがJRの初乗り料金くらいの感覚を持っている人もいるわけですよ。
そういう人にとってみれば、ひと月に200万円くらいの課金なんてたいしたことがない、というところが分かったんです。まあとにかく、いろんな勉強をさせてもらいました。
――話がちょっと戻りますが、カタログIPオープン化プロジェクトについてはいかがですか?
いいんじゃないですか。面白そうだし。使い古したものでもうけになるならいいと思うし、作っている側も楽しいじゃないですか。
日本ならではの文化の体現だと思います。2次著作関係で「灰色の状態」でやるよりは健全だし、ユーザーとしてもやはり納得して買えると思います。そういう意味では、日本ってやっぱり違うなって思いますね。1段上を行っている。
ナムコの社風はおおらかなので、それを受け継いだ感覚は素晴らしいと思います。
――いろいろとお話を聞くと、プレイヤーはもちろん懐かしみつつ楽しんでいますが、作っている人たちがいちばん楽しんでいるかもしれませんね。
作っている人は楽しいと思いますよ。プレイする人も、実際にやり込んだりはしないですよね。最初に起動して「おお~!」ってなって。
でも、それでいいんですよ! もうすでにそういうものとして、思い出を補完する商品として出てくるっていう現象だと感じます。
実は研究の一環として、サービスが終了してしまったゲームに対して、そのゲーム内のデータやキャラクターをユーザーはどういう風に人は考えているのかという調査にも取り組んでいます。
何らかのモノに残してほしいとか、何かそのゲームの世界が分かるようなものを作ってほしいって意見は、すごく多いです。
そういう意味では、カタログIPオープン化プロジェクトのような派生型の商品というのは、手で触れる小物で出てくるっていうのが、すごくプレイヤーにとってはありがたいのかなって思います。
――私も以前はコアなオンラインゲームにはまっていて、そのキャラクターのデータがプレートみたいなモノになったらうれしいです
現物になると、特にうれしいなというのがあるようです。また、関連して何か新しいものが出てくるのは、格別に特にうれしいようなので、そういう意味ではいいんじゃないですかね。
ARやVRのようなイノベーションは日本人ならではの感覚で進化する
――ご自身で、スマホゲームをプレイされる機会はありますか?
それなりにやっていますよ。
――最近気になったタイトルは?
話題になっているので仕方ないからやっていますが、『ポケモンGO』ですね。
これって『Ingress』そのものじゃないですか。スキンチェンジだけで、あれだけ売れちゃうという。
まあ、いろいろといいたいことはあるんだけれど、いってもしょうがないから言いません(笑)。
――ポケモンを集める楽しさをリアルに体験できるという要素が魅力ですが、中身はまだまだですね。
中身がしょぼいというのは当たり前ですよ。『Ingress』でしかないんですし。
しかも『Ingress』って、もともとはアブストラクト(抽象的)なゲームなんで、頭のいいやつしか理解できない。
ポケモンという素材を使って、直接的な表現でなければ理解するのが難しい方たちに対して、形を変えて出てきたわけです。
そしてAR、拡張現実を使って非常にわかりやすくなったことで、初めて『Ingress』がどんなゲームなのかを理解できたという現象なんです。
それでも、日本では否定的な意見などがけっこうあるじゃないですか。画面を見て、触って、なんでキャラクターが歩いてくれないんだと(笑)。
「自分で歩くのは面倒くさいなー」というのは、日本人特有のものだと思います。
日本人プレイヤーにとっては、ゲームの中でキャラクターが歩いてくれた当たり前。「何で自分が歩かなきゃならないんだ」となるわけです。
タマゴをかえすのに5km歩けとなったときに、実際には歩かないでプラレールを使う。ああいうのは、日本人なりのプレイの仕方としてはすごくいいですよね。外国人とは感覚がまったく違う。
――Game Deetsでもいろいろ試させていただいて、ターンテーブルの結果が非常に優秀でした。
距離が足りなくないですか? うちの研究室では扇風機にガムテープがいっぱい張り付けてあって、「ふ化装置」って書いてありますよ(笑)。
このようなものは、実に日本的だなと思います。北米の人ならさっさと5km歩きますからね。そのへんの感覚はやはり違うなと思います。
――遠藤さんはどんな端末をお使いになっていますか?
とりあえず、Androidのタブレットを2つ使い分けています。もう老眼なので、スマホの小さい画面はダメなんですね。7インチタブレットがポケットに入るので、ちょうどいいんです。
――VRが流行っています。興味はありますか?
まったくないですね。コンテンツには興味がありますが、ゴーグル自体には興味がない。
――VRならではの新しいコンテンツには期待したいところですが。
いやもう、『サマーレッスン(仮)』が出てきているので。あれはすでに、日本を代表するコンテンツじゃないですか?
VRが何なのかということを、みんながどう思っているかですね。VRというものの本日を、制作者が理解できるかどうかです。
それができてない人があまりにも多すぎるので、つまらないゲームが山ほど出て、「VRってそうなんだ、ふーん」って終わっちゃう可能性が高いように思います。
でも『サマーレッスン(仮)』は、少なくともVRの何たるかをちゃんとわかって作られている……というか、VRの何たるかがわからないまま作っていたんだけれど、VR感を出すためにトライしてきて成功した部分を全部残したら、結局はVRの何たるかをきちんと理解して作っているものと一致した、ということですね。
――別の道を通って来たのに、終着点は同じだったと。
そういうことです。論理的にたどり着いたわけではなくて、経験則から同じ結論になっている。極めて素晴らしい作り方だと思いますよ。
あとは、ヘッドマウントディスプレイ自体は昔からありますからね。なぜ今まで流行らなかったかといえば、格好悪いからですよ。
――プレイするときは1人でいたいですね。人に見られたくない(笑)。
それがまた、つまらないじゃないですか。ほかの人が見ているところでプレイするっていうところの面白さが、今のVRにはない。外部モニターを通じて見るというのもつまらないし。何なんでしょうね。
――プレイしている人の体験をほかの人が共有できない……。ゲーム情報メディアとしても、何とかならないかと考えている点です。
逆にいうと、基本的には1人で遊ぶものだっていうところに帰結するのであれば……とりあえず、VRでプレイヤー自身が動くのはあり得ないですね。よくありますよね、ビューって動くのを見せたいから、ジェットコースターみたいなコンテンツが。
ああいうものは、プレイヤーが体感している加速度と、視覚の加速度にズレが生じるので、VRにならなくなってしまう。それを理解できない制作者がいっぱいいるのが現状です。
それから、VRではさまざまな角度から景色が見られるからと、どこからともなく襲い掛かってくる敵を迎え撃つために、周囲をキョロキョロと見渡さなければならないようなコンテンツもあります。
そんな疲れるものを、普通のプレイヤーはやらないですよ。
画面をぼーっと眺めていて、ふと気がついたときにチラっと目標物を見やるくらいの感覚の動作で楽しむのがVRの本質だということに、早く気がつかなきゃいけないんです。
――海外のイベントで見かけて興味深かったのは、映像に合わせてシートごと動きまくる4Dチェアですね。体験してみて「これはリアルだ」と感じました。
海外のクリエイターが「リアルじゃないとわからない人」たちだから、そういう方向性のものになるんです。
『サマーレッスン(仮)』みたいに「絶対にリアルじゃないものが出てきて、それをリアルだと誤認する」ようなコンテンツに向かっていくのが日本人なんです。だから「2.5次元の実在化がキター!」で正しいんだと思います。
――初音ミクのMMDなどもたくさんの方が作られていて、いろんなコンテンツがあります。そういったところに融合していくのでしょうか。
そうです、それがリアルに感じられる。
そのためには、ほかにも突破しなければいけない壁がありますが、それをみんなが突破できるかどうかはあやしいですね。
――これまでのゲーム分野のイノベーションの中でも、みんなが一斉に飛びついたにもかかわらず、ほとんどはダメということがありました。でも一部にはすごくいいところがあって、それが伸びていくというよな現象があったと思います。今回もその繰り返しになりますか?
そうなると思います。結局、日本のゲームの歴史はそういう形で新しいものが出てきたときに、支持されたものだけが売り上げが伸びる。そして雨後のタケノコのようにそのコピーが出るわけですよね。また今回もそうなると思います。
――そういった中で、何が残って、その先に何があるのか。
VRの本質がどのへんにあるのかを考えれば、ライドシューティングのようなコンテンツがいちばんじゃないかという風に考えています。
ライドシューティングが何かっていうと……そうですね、ディズニーランドの「イッツアスモールワールド」みたいなもんです。
ああいうゆっくり動く乗り物で、周りにあるものの中から何かを、強制的にではなくて自分の意志で見つけるものですね。
見つけるっていう行為はシューティングだと思うんです。
ただ座っていて、景色が変わっていって、「お!」って驚いている。そして、そのたびに自分の経験の中に積まれていく。
ポイントとかスコアじゃないんですね。自分の中で「あ、こんなものがあるんだ」という、見つけましたっていう感覚。例えば、プレイヤーの目線を感知しておいて、目的のものを確認したことを記録して、いくつ確認できたかというコレクションでいいわけです。
昔『ポケモンスナップ』ってありましたよね。あれは「ポケモンシューティングじゃねえか」って思っていました。ああいうゲームをVRにすると、けっこういいんじゃないかな。
日本人の持つ「ゲームに対する美学」を伝えることがライフワーク!
――最近はどのような活動をしていらっしゃいますか?
一人前のゲーム研究者になるために勉強しています。大学院のドクターコースにも通っていて、近々にはドクターになれるように。
――いつごろになりそうですか?
いや、わからないですね(笑)。3年後かもしれないし、2年後かもしれない。
僕は日本のゲームっていうものに対して、残りの人生でできること、自分でできることをやりたいと考えています。逆に言うと、自分でしかできないことをやるために、そこに残りを全部突っ込むと決めているんです。それが何かといえば、「日本のゲームとは何だったのか」という部分ですね。
どんどん時代が進む中で、過去も含めて日本のゲームは世界の中でも特殊な位置にあります。
けれど、それが特殊な位置にあるということを正当化してくれる人が誰もいないんです。『サマーレッスン(仮)』が出て、それが何でたたかれるんですか? ああいうものを理解しない、できない人たちが寄ってたかって「あんなもんダメだ」と言う。
でも、それに対して「こういう素晴らしいところがあって、こういうことを具現化しようとしているんだ」っていうのを、きちんと発信できる人がいなければいけない。それができる人がいないんですね。
なので、日本のゲームの持っている潜在的なポテンシャルみたいなものを、僕がきちんと説明していきたいと考えています。
そのためには学位というものが必要なんです。一般の人が持論で発言しても何も意味がないので。
――バックボーンが必要ということですね。
世界の研究者に「日本は遅れている」と言われたりすることもありますが、「そっちは技術主導なだけ。日本は遅れているわけじゃなくて、技術を使っていないだけだ」ってきちんと言える人がいないとダメなんです。
それに実行するには、日本のゲームデザインが何なのかということをきちんと説明しなければ。
そのために、現在の日本のゲームデザインというものをいろいろと考えて調査しています。先日、そのような論文を発表したんですが、もういきなり否定されてしまって。
ここのところ、いろいろと調査していて日本人が特にRPGが好きだということが分かっています。日本人がRPGのどこを好きかというと、そのナラティブというか、物語や世界観なんです。
そして面白いことに、日本人のプレイヤーの中で、10数%の人がラスボスを倒さないまま、ゲームをやめてしまっているんです。
――私もラスボス間際でやめてしまったゲームは多いです。
それは何故かというと、「ラスボスを倒すとゲームが終わってしまう」から。プレイ自体をやめてしまうのは、「そのゲームの世界観の中にまだ自分がいる状態」をキープしたいからなんです。
要するに「ゲームを続けるためにゲームをやめる」という、非常におかしな状況になっていて、これが世界の人には理解できない。
インテンショナルステイといいますが、意図的にとどまる状態を自ら作って、ゲームの世界から抜け出さないためにゲーム自体をやめてしまうというのが、ゲームプレイをやめてしまう理由の1つとして挙がっています。
しかもそれは、10数パーセントにも上るプレイヤーが経験している。これこそが、日本人の持つ「ゲームに対する美学」。もう美学としかいいようがない。
美学であり、かつ茶道でいうことろの「残心」のようなものです。そのゲームの経験を残すために、それ以降はプレイしないんだけれど、その経験自体を残して楽しむ、そういう心の表れだという論文を書きました。
でも「まったく理解できない、何が書いてあるのかよく分からない」と言われてしまいました。講評に「証拠は?」なんて書いてあって(笑)。
そういう文化的な素養を理解できない人に説明しても、無駄なんだと実感しています。
――海外の人には理解しづらいでしょうね。
そういうものが世界に受け入れられないということで、非常にムカついています(笑)。だって、日本人はそれが当たり前じゃないですか。
――自分の大切なものは、いつまでも残しておきたいという気持ちがあります。ですから、なかなか区切りをつけづらいですよね。
日本人のゲームに対する姿勢というのは世界の中でも異色であるっていうことを、きちんと証明しつつ全部やっていかなきゃダメだということです。
今は多岐にわたる調査をどんどん進めています。日本人のゲームスタイルというのを明らかにしていって、そのゲームスタイルが日本のゲームっていうものを形作っていて、それ自体が日本人の考え方とか文化自体がほかの国とは違っていて……。
フランス人は、こういった事象を理解してくれています。「日本人はクレイジーだけど、そのクレイジーさが潔くて、それこそがアートである」と。対して、北米あたりの人は「認められない」「理解できない」という状況にあります。
――そういった日本の気質に似た国ってあるんでしょうか?
やはりフランスがいちばん近いですね。フランスはもう19世紀ごろからジャポニズムといって、日本の文化に対するリスペクトがあります。フランスの持っている文化の多様性というのは、やっぱりアメリカとはけた外れなんです。
以前は僕も「日本のゲームが遅れている」と言われたときに何だか忸怩たるものがあったんですけれど、フランス人に「日本のゲームは遅れているんじゃなくて、方法論が違うだけ」と言われて救われた気持ちになりました。
日本人はそれに対して誇りを持つべきだし、貫くべきだっていうのを、フランス人から教わったんです。
それで「あ、なるほどね」となって、それはやっぱり誰かが証明しないとダメだと。ということで、それを証明するのが僕のライフワークですね。
「FPSこそ最高のゲームだ」なんて言っているバカな外国人に対して、「お前ら、同じチームに女がいたらキックするだろ? そんな男女差別は日本では30年前に終わってるよ、ゲーム文化の中では」と、そういうことをきちんと言えるように。
――期待しています。本日はありがとうございました!
(C) BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
(C) 2016 Dream Factory