AIの抱える課題と可能性を研究者が明かす
黒川塾39回目となる今回のテーマは「誰にでもわかる!エンタメ的人工知能(AI)考察」。
目覚ましい進化を遂げているAIの専門家が一堂に会して、AIの未来への展望や課題について語った。
今回の「黒川塾(三十九)」で登壇したゲストは、以下の3名。
黒川塾(三十九)ゲスト
- 松原仁氏:はこだて未来大学 教授
- 伊藤毅志氏:電気通信大学 助教
- 三宅陽一郎氏:ゲームAI開発者
成功したAIは、AIと呼ばれなくなる
最初に「AIの定義とは何か」という黒川氏の問いに対して、松原氏は「AIは人の数ほど定義がある」と話した。
AIの研究者の目標は、「人間のように賢いコンピューターを作りたい」という点では共通しているが、そこから先の部分は研究者によって定義が異なってくるという。
そして、「成功したAIは、AIとして認識されなくなる」と、例として「かな漢字変換」が最初「AI変換」と呼ばれていた例を挙げた。
人間の知覚や思考の仕組みを研究する認知科学が専門の伊藤氏は、AIと自然知能(人間などの肉体を持つ生き物の知能)の違いとして、空を飛ぶことの例を紹介。
AIは「空を飛ぶ」という目的さえ達成できれば、あとは形にとらわれないため、ジェットなどの力で飛ぶことをまっすぐに発想できる。
逆に人間は、「鳥はなぜ飛べるのか?」という鳥が飛ぶメカニズムを調べることで飛ぶことに至ると、自身の専門とする認知科学の分野からAIと自然知能の違いを説明した。
最後にゲームという分野でAIを開発する三宅氏は、デジタルゲームの分野では、ゲーム内で思考する知能のことをAIと定義。
三宅氏は、2016年8月11日に解説書『AIのための哲学塾』を発売したばかり。
三宅氏が、この本を執筆するにあたって、大きく影響を受けたのが、松原氏が1990年に著した『AIになぜ哲学が必要か―フレーム問題の発端と展開』。
足場となる学問を持たないAI研究では、まず「人工知能」という言葉を定義するため、「知能とは何か」という哲学的問題は避けられないのだという。
AIとは視野の狭い偏屈な人
続いて、AIが抱えている課題として、松原氏の著書の題名にもあるフレーム問題の説明に話題は移る。
フレーム問題とは、人間は現実世界に氾濫している数多くの情報から無意識のうちに目的達成に必要のないものを切り捨てることができるが、AIはできないということ。
この問題は初めて提唱された1969年から現在にいたるまで解決されておらず、AIは人間が必要な情報のフレームを設定してあげなければならず、フレームから少しでも外れると何もできなくなってしまう。
三宅氏はAIを「すごく視野の狭い偏屈な人の究極版」と例えた。伊藤氏は例として「将棋が得意な人はチェスも得意になることが多いが、AIはどちらか一方しか指せない」と話した。
また、伊藤氏はAIは長期的な予測は可能だが、先に待っている何が問題なのかを認識できないという弱点も指摘した。
人間からすれば、これらの弱点はあきらかに致命的な弱点のように見える。
しかし、それを抱えながらも設定されたフレームのなかではプロを打ち負かすAIのすさまじさを改めて実感しさせられる。
そんなAIの姿を松原氏は「ガードが甘いけど、ハードパンチで相手を倒してしまうボクサーのようなもの」と例えた。
AIの対局を解説するAIが現れる?
チェスや将棋、囲碁でプロに勝利したAIは、今後どのようになっていくのだろうか。
伊藤氏は、今後のAIの展望について、今後は強さを求めるだけでなく、難易度を調整するような人間を楽しませる学習支援のAIの開発が始まるという。
そして、伊藤氏は、将棋や囲碁だけでなく不確定要素を含んだゲームに対するAI開発が進むのではないかと話す。
その実例として、伊藤氏は現在、カーリングのAI開発を進めており、AIによるカーリングで生まれた戦術を日本代表に授けて、メダルを目指すのが目標だという。
また、将棋や囲碁のAIの学習能力は他分野でも生かされており、レントゲン写真から肺がんの初期症状を見つけるAIの開発が進んでいると松原氏は紹介。
そして、現在の将棋や囲碁のAIは、もはや人間の対局ではなくて、AI同士の対局から学習するレベルに到達し、驚異的なレベルで実力を伸ばしているという。
そのため、今後は人間の理解できない域にまで達したAI同士の対局を、人間に分かるように解説するAIの開発する必要があると松原氏は話す。
AIは人類を滅ぼすのか?
そして、トークのテーマは「AIの進歩による弊害はあるのか」という話題に移る。
SF作品なんかで見られる発展しすぎたAIによって、人類が滅ぼされてしまう日は来るのだろうか。
松原氏は、「道具が進歩すると同時に、人類も進歩してきた。優秀なAIを使いこなして、人類も進歩するのではないか」と楽観視するが、伊藤氏は、強すぎるAIの出現によって、社会のバランスが崩れる可能性を指摘する。
松原氏も株式市場では、人間よりAIの方が有利であるという例を出した。
例として、本来は人間がミスをすることでドラマ性があった将棋が、ミスをしないAIの存在によってバランスが崩壊していっていると話した。
しかし、三宅氏は、AIが人類を超えたといわれるが、それはチェス、将棋、囲碁という局所に過ぎず、フレーム問題を解決しない限り、AIが人間を超えたとはいい切れないと話す。
今、いきなりAIによって人間の仕事が奪われるということはないとしても、分野によっては強すぎるAIとの付き合い方は今後課題となってくるだろう。
AIが人間性を獲得するためには身体が必要
最後に黒川氏は「AIに人間性はあるのか?」と質問。
三宅氏は「ゲームの世界では、まだAIは人間のふりをしているだけ」と人間性を獲得していないことを明かす。
たとえば、ゲーム中でプレイヤーをピンチに追い込んだところで、仲間がプレイヤーを助けるシーンでは、ピンチに追い込む敵も助けに現れる仲間キャラクターも同じAIが操作している。
しかし、その演出が絶妙なことによって、プレイヤーは仲間キャラクターがプレイヤーのことを理解して助けてくれていると錯覚するのだという。
AIは身体を持たず、痛みも感じないため、人間を理解することはまだできないと三宅氏は話す。
伊藤氏は、「そもそも人間性とは何かがわからない以上、人間性をAIに持たせられないのではないか」と話す。
伊藤氏の研究室で研究されているわざとミスをする人間らしいAIの様子を見たり、これまで「機械らしい」と表現されていた問題を克服するAIが出現したりする様子を見ていると、「人間らしい」という言葉がわからなくなってきたのだという。
そして、人間らしさの1つの答えが「欲求」であり、何らかの欲求をコンピューターに持たせられれば人間らしいコンピューターが生まれるのではないかと話す。
最後に、松原氏は、いつかAIが人間性を獲得してほしいと熱い意気込みを語り、「機械らしい」の定義が日に日に変わっているという状況について、あらゆる分野で人間が機械より優れているという概念が変化し、AIが受け入れられる社会へと変化していくことを望むと締めくくった。
現在、目覚ましい進歩をとげているAI。SFの世界のようにAIで動くロボットが我々の生活の中に入ってくるのか、今がその転換点なのかもしれない。
人類を超え始めたAIがどのようになっていくのか、これからも目が離せない。