和田氏がスクエニで見たゲーム業界のビジョン
「黒川塾(三十五)」のテーマは、「ゲームビジネス潮流観測」。スクウェアの経営者として、当時どのようなビジョンを描いていたのか。
そして、和田氏の視点から見た、過去から現在、そして未来へと至るゲーム業界の趨勢が語られた。
なぜ、スクエニはデジキューブを見捨てることになったのか?
最初に黒川氏は、自身も取締役を務めた、スクウェアの設立したデジキューブについて、なぜ連結を解消するといった見捨てるような形になったのか、ストレートに和田氏に質問をぶつけた。
デジキューブとは、ゲームのコンビニ流通やゲーム映像を流す「デジキューブチャンネル」など、新しい試みで注目を浴びるも、2003年に倒産している。
和田氏がスクウェアに入社した当時、デジキューブは脚光を浴びていたが、その裏で売れ残った返品を100%受け付けるというデメリットを負っていた。
そのため、マーケットが冷え込んだ場合、一気に売り上げが落ち込む危険をはらんでいたという。
さらに、そのときのスクウェア自体、経営がスレスレの状態になっており、へたをすると共倒れになる可能性まではらんでいた。
それを防ぐため、見捨てる形になってしまったが、連結対象からデジキューブを外す選択をとったそうだ。
ただ、デジキューブ自体は、映像を用いてゲームに自分たちで価値を付けるなど、サービスとしてかなり最先端な試みを行っていた。
今でこそニコニコ動画やYoutubeでメジャーになっているゲームプレイ動画を、デジキューブはすでに2000年の段階でやっていたのだ。
インターネットが一般にも普及し始めた2005~2006年ごろにデジキューブがあれば、かなり大きく化けたのではないかと和田氏は推測している。
そして、そのときのデジキューブの新しい発想が、国内で続けてくれる人がいなかったのは、非常にもったいないことだと語った。
まさにカオスな状態だった和田氏着任時のスクエニ
続いて、和田氏が社長に就任したときのスクウェアの内情が話題に。
当時、2000年代前半のスクウェアは、映画興行の失敗やハワイのスタジオ、さらに大量の子会社と社員を抱え、まず自分たちを改善する必要に迫られていた。
さらに和田氏は、着任した2000年の5月に、スクウェアの財務部長、営業部長、法務部長など、ほとんどの部門のトップが一気に退職したことを告白。
かなりひっ迫していた状況だったという。
なぜ、スクウェアがそんな状況にまで追い込まれたのか? その理由として和田氏は、新事業にばかり注力していたため、本業がおろそかになっていたと分析する。
当時、スクウェアが抱えていた新事業は、デジキューブ、映画、そしてプレイオンラインの3つ。
どれも狙いはいいのだが、映画は製作期間の長さから割りに合わず、プレイオンラインも自腹でやったため、すべて資金を投入する事業になっていたそうだ。
そして本業であるコンシュマーゲームでは、就任当時、FF9とFF10を除くと、大きな売り上げが見込まれるタイトルがない状態だった。
そこで和田氏は、まずデジキューブを連結対象から外し、映画からも撤退する。
実は映画事業は残したかったそうだが、2作目の案がない状態で、数百人の雇用を数年続けるのは無理だと判断したそうだ。
プレイオンラインは、和田氏自ら、集英社の鳥島氏などに「お金は払えません」と頭を下げに行ったという。
このように、経営に対して大ナタを振るった結果、エニックスとの合併を行うときには、最高益を記録したそうだ。
改革に乗り出すため、オーナーの宮本氏に直談判
和田氏は就任当時、それほど長居する気はなく、会社の経営状況を整えたら、すぐに次の人物に引き渡すつもりだったという。
ただ、フタを開けてみたらあまりにもヒドイ状況だったため、そんな甘いこともいってられず、結果的に15年もの間、就任することになった。
また、スクウェアが不振となった理由として、開発陣の力が強すぎたという声も聞こえるが、和田氏いわく、開発サイドではそれほど致命的な失策は犯していないそうだ。
ただ、当時『FF』を生み出した坂口博信氏は国外におり、後を引き継げるだけのリーダーシップを持った人がいないという問題はあったという。
それでも、スクウェアがあそこまで危険な状態になったのは、経営の問題だったと和田氏は語った。
また、スクウェアを改革するためには、かなりの強権が必要だと感じた和田氏は、スクウェアの創設者である宮本雅史氏に直談判。
「(普通のやり方では)もう間に合いません。ボクがやるならやりますし、そうじゃないなら辞めます」と伝えたところ、「お前はまだ(社長には)早い」といわれたそうだ。
それでも契約解除などには、代表権が必要になる。そのため代表取締役社長兼CEOという役職に就任することになったという。
ちなみに、和田氏がスクウェアに就任する前、宮本氏の面接を受けた場所は、ビーナスフォートの隠し部屋だったそうだ。
最高益を記録してからのエニックスとの合併
スクウェアとエニックスの合併は、当時のゲーマーなら知らない者はいないほどのビッグニュースだった。
しかし、なぜ合併する必要があったのか。その理由について和田氏は、スクウェアが目指した2つの成長戦略を挙げた。
まず1つが「ユーザーとの接点を増やす」こと。
それまでスクウェアは、任天堂やセガ、マイクロソフトなど、ソニー以外のメーカーにまったくタイトルを供給していなかった。
そのため、PCやアーケードのタイトルが作れず、ユーザーとの接点がかなり限られた状況だったのだ。
そして、もう1つが「グローバル展開」だ。
当時、北米ではエレクトロニック・アーツとジョイントベンチャー、ヨーロッパではソニーがスクウェアのタイトルを扱っていた。
タイトルは世界で知られてはいたが、スクウェア自身はそれほどグローバル展開していなかったといえる。
今後、欧米のゲーム市場が伸びていくと感じた(当時、中国は考えていなかったそうだ)ので、スクウェア自身も国際化を図る必要性を感じたという。
これら2つを考慮し、和田氏はエニックス以外に、ナムコなども視野に入れていた。
そこでエニックスに決めた理由が、エニックスが新興市場のアジアに進出しており、さらにネットゲームに注力していた点。そして、モバイルコンテンツだったそうだ。
買収した2つのパブリッシャー「アイドス」と「タイトー」
合併し、スクウェア・エニックスとなってから、和田氏は今までの主流商品であるRPG以外、アクションゲームなどにも注力するため、さまざまな会社を買収する。
ただ買収する際にもルールがあり、自社IPを持つパブリッシャーでふるいにかけたという。
中でも、イギリスのパブリッシャーであるアイドスは、かなり自社IPが多かったそうだ。
しかも買収金額が、リーマンショックで2,000億から200億まで下がるという幸運もあり、買収を決めたという。
日本のパブリッシャーであるタイトーは、当時、アメリカではキッチンで主婦がプレイするカジュアルゲームが主流だったのが理由の1つ。
タイトーは自社IPで豊富なカジュアルゲームを持っており、それが目にとまったそうだ。
2010年にFF XIVが引き起こした再度の危機
スクウェア・エニックスとなり、さまざまな子会社を吸収し、順風満帆に思えていたが、2010年に再び危機に陥る。
その理由となったのが、ごぞんじの人も多いだろうが、FF XIVの失敗だ。
和田氏はFF XIVが失敗した理由については、特に誰の責任とも言及しなかったが、そのためにスクエニの屋台骨がガタガタになったという。
話の中で和田氏は、当時のスクエニのビジネスモデルを3階建ての建物で説明した。
それによると、土台となる1階部分として、だいたいの売り上げが見込め、手も打ちやすいFF XIVなどのMMORPG。
2階に、クッション的な扱いでブラウザゲームなどの「Free-to-Play(F2P)」。
それらを元手に、3階部分のコンシューマーゲームを、根本的に修正していくといこう構想だった。
しかし、FF XIVの不振によって、それらすべてが崩れ去ってしまった。和田氏自身、2010年ついに倒れてしまい、逃げ出したいとまで思ったそうだ。
和田氏はこの失敗の理由として、新しい試みを行ってきたが、スクエニ本体の成長につながっていなかったと分析する。
それからは、クリエイターのみならず、人事や財務の人員に対しても、社内で勉強会や研修などを行い、社内全体を成長させることに尽力したそうだ。
そうすることでスクエニは、スタープレイヤーに頼らずとも、人気タイトルを出すことができる、再現性を持った会社になったという。
最近は、スマホゲームでもさまざまな人気タイトルを出しているが、今までの苦労が実ったというところだろう。
新しいチャレンジには新しいIPで挑戦
今まで、PCであったりスーパーファミコンであったりスマホであったりと、ゲームのプラットフォームは幾度となく変化してきた。
パブリッシャー側としては、新しいプラットフォームで出すタイトルは1つの大きなチャレンジである。
そのようなチャレンジを行う際の助言として、和田氏は坂口氏に、「新しいチャレンジをするときにIPを使え」と教わったそうだ。
例を挙げれば、オンラインゲームではFF XIを、任天堂からソニーのプレイステーションに移った際は、FF VIIを出し、どちらも成功を収めている。
そのため、最初は和田氏もその考えに沿っていたのだが、ネット環境が本格化し始めた2005年ごろから、「新しいチャレンジこそ新しいIPで作る」という考えに変わったという。
その理由が、ゲームの動作環境における違いだ。PCやプレイステーション、スマホなど、動作環境が変わると、UIやグラフィックといったゲームの性質以外に、客層までも変わってしまう。
そのため、逆に同じIPを使うのは、絶対にやってはいけないことだと、和田氏は思うようになったという。
ゲームの規制問題
ゲーム業界のマーケティングの話がひと段落し、次に和田氏が理事を務めたCESAの話題になった。
CESAは東京ゲームショウやCEDECなどを開催している業界団体だが、同時にゲームの表現規制であるCEROにも関わっている。
ゲームや漫画といったエンタメの表現規制は、多くの人が議論を交わしながらも、今なお解決していない問題の1つでもある。
和田氏が理事になった際も、「表現の自由」を訴えるクリエイター側と、「何を作ってもいいわけではない」と主張する規制派がいたそうだ。
当時、両者の議論がこじれており、そのまま放置しておくと、不買運動まで起きかねない状況だったため、CEROを新設することになったという。
そして現在の規制問題である、スマホゲームのガチャについても言及。
和田氏は、ガチャの本質的な問題として「射幸性をあおる」点と「未成年が使用する」点の2つを挙げ、デジタルの価格付けに定義がない今、規制を先手で打つべきだと意見した。
業界側から提示しなければ、承認欲求やコンプリート感にお金を払うという概念を説明できない限り、過剰な規制を押し付けられる危険もあるという。
規制は絶対にダメというのではなく、まず規制ありきで、そのガイドラインを自主的に作ることが、今のスマホ業界にも求められているといえる。
これからのゲーム業界の展望
和田氏は、これから新しいコンピュータを構成するものとして、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、IoT、クラウド、AI(人工知能)を挙げた。
これらの知見をためることが、数年後にきっと結果につながると、和田氏は主張する。
なお、現在のスクエニは、その中でも特にAIに注力しているという。
数年前から学生を対象にした「スクウェア・エニックス AIアカデミー」も開催しており、和田氏の思惑どおり、未来に向けて人材育成に力を注いでいる段階だといえる。
また和田氏は、AIとクラウドを学習しつつ、仕様が固まってきたら、投資だけではなく、とにかく作ることが大事だと強調。
投資やIPを提供するだけでは、それが何なのかを理解することができない。そのため、例え失敗しても、作り続けるべきだと、熱く語った。
さらに和田氏は、今後の展開次第では、日本のゲーム業界が復活するかもしれないと期待をのぞかせた。
その理由として、日本のゲーム業界は、アーケードを手掛けつつ、PCもコンシューマーも作っている、ソフトとハードの両方を手掛ける唯一の存在だからだという。
世界中で盛り上がりを見せているVRやAR、AIなどの新技術は、復活を果たしたスクエニのように、再び日本のゲーム業界に光を灯してくれるのか。大いに期待したい。