ラ・ラ・ランドから愛を込めて
機内で観た映画でいちばん印象的だったのは、アカデミー賞の授賞式で作品賞の取り違え騒ぎの対象になった『ラ・ラ・ランド』。
何が印象的だったのかというと、ネタバレをおそれずにいえば……愛する2人がおたがいに違う道を歩んでも、そこには有形無形にかかわらず2人がともにした時間、体験、感情、そして普遍の愛があるというものだ。
とはいえ、この普遍の愛や、演出のエンディングにはさまざま解釈があることだろう。
あくまでもあれは映画、きれいごとだよという評価もあれば、心の底に秘めた変わらぬおたがいの想いを自分の思い出とオーバーラップするという観客も多かったと思う。
普遍なるもの、人はそれに想いを寄せ、そしてそれを求め想い続けるものなのかもしれない。
普遍なものなどはない……?
中学生のころに兄の影響で『MEN’S CLUB(メンズクラブ)』や『男子専科』(のちのDANSENとなり、現在は廃刊)などを読み漁った。
その後、高校生くらいになると創刊したばかりの『POPEYE』『Hot-Dog PRESS』などのファッションをコアとしたカルチャーマガジンに染め上げられ、ファッションに関して同世代の人よりもまだ感度が高いと自負している。
そのような中で、ファッション談義で出るのはユニクロはファッションか否かというものだ。もしくは、ユニクロを着ているオレってオシャレか否か? 的なものを耳にする。
あくまでも、個人的な考えとして解釈してほしいが、ユニクロで販売している服はユニクロ自身が標榜するように「LIFE WEAR」です。このLIFE WEARとは、ユニクロ曰く「人々の生活をより. 豊かに、より快適に変えていく究極の普段着」という定義。
私自身は、ユニクロで販売している商品の印象と感想は安価、流通性(手に入れやすさ)、機能性(防寒性、吸収性)、着心地、耐久性に優れたものアイテムでありツールだと思っている。
ゆえに、そこにファッションという感性よりも、実用性が上回っているのではないかと考えている。
ちなみに、NHKアメリカ総局の取材記事に依れば、世界全体でのユニクロの売り上げはZARA、H&Mに次いで3位にまで上昇したものの、アメリカでの販売は苦戦しているという報道がある。
販売苦戦の理由は、1つは「ユニクロは機能性を重視した服で、ファッショナブルではない」という評価があり、さらには、日本の25倍の国土のなかでの趣味嗜好の多様性に左右されて画一的なデザインや機能性がマッチしなくなったというもの。
それに講じてユニクロはニューヨークにデザイン拠点を設けて、よりファッショナブルな路線を指針としていると記事は伝えている。
ユニクロがファッションを目指すということは、流行を追求するということになり、従来の普遍を軸にしたアイテムやツールとは異なる路線を未来に求めているように思う。
4月4日:Android OSが初のOS首位獲得
4月4日、パソコンOSソフトとして長年栄光の座にあったマイクロソフトのWindowsのシェアをAndroid OSが逆転をしたというニュースが報道された。
1980年代からパソコンOSを主導したWindowsが、ここ数年シェアを落としつつあることは周知の事実だが、スマートフォンが一般的に広く普及したことが大きな追い風になったと分析している。
現時点では双方の差は僅差(0.2%)だが、人々のニーズがスマートフォンに移行すればするほど、この差はさらに拡がっていくだろう。
もちろん、まだパソコン向けのOSに関してはWindowsが主流だが、あと数年するとこれも大きく逆転している可能性は否定できない。
先日、サンノゼで訪問したコンピューター歴史博物館で、過去の隆盛を極めたコンピューターハードメーカー、ゲームメーカーなどの機材を見たが、「あのころはこれしかなかった」という感慨にふけるとともに、時代の変化と移り変わりの中で消え去ったメーカーや汎用コンピューターもたくさんあることがよくわかる。
LINEはコンテンツではなくツールだ
コラムの最後に取り上げるLINEは、非常に優れたツールだと思う。
おそらくLINEの登場によって、携帯電話や固定電話も持つ意義や、その使用方法におけるマナーも大きく変わったと思われる。
ネット上の意見かもしれないが「電話は時間泥棒」のような論調が湧き上がると、電話する前にLINEやメールで「今、電話してもいい?」と確認するのがありかなしかのような議論もあった。便利の代償として、面倒くさい儀礼が生まれのではないだろうか。
LINE誕生以前には、MSNメッセンジャーもあったし、今もFacebookメッセンジャーもある。しかし、現在の日本において、友人、知人、ビジネス関連で連絡を簡単に取り合うツールとして、LINE以上のものはないといっていいだろう。
LINEは、マジョリティが支持するツールとしての役割もじゅうぶん果たしてきた。
それは、コンテンツを活かす場として、AppleやGoogleのポータルのポテンシャルには劣るものの、LINEというツールを使うユーザーを完全に囲い込んでいるといっていいだろう。
しかし、LINE自体は日本国内でのツールとしては行き渡った感がある。では、国外はどうかといえば、そう簡単には展開が進んでいないのが現実だ。
冒頭のユニクロ、Windows、など総じてツールやスタンダードの宿命としては横展開を行っていくことだ。機能性を上げる、値段を安くする、ブランドを増やす、サービスを増やすという流れがそれに当たる。
かくいうLINEもしかり、さまざまなサービスをポータル上で充実させる展開を行っている。それは、よくいえばサービスが熟成することであり、煮詰まりつつあることを意味している。
ユニクロ、Windows、LINEに共通するのはどれも優れたツールであるということだ。しかし、その優れたツールはさらにすぐれたツールによって上書きされて行くということは歴史を見るまでもなく明らか。
普遍なるものは、人々は新しくて便利なものを使いたいと欲し、そして、それを創りたいと欲するというモチベーションなのではないだろうか。