【西川善司のモバイルテックアラカルト】第8回: 新しいクラウドゲーミングの形「シンラ」とは? クラウドゲーミングの話(3)

前回までに「クラウドゲーミングとはなにか」「クラウドゲーミングが抱える課題」などをお話ししてきましたが、今回でクラウドゲーミング編は最終回です。今回は、「クラウドゲーミングの未来形」についてお話ししたいと思います。

ゲームはゲーム機の性能と無縁ではいられない

これまで30年間も続いているゲーム機の歴史を振り返れば、携帯型ゲーム機にしろ、最高性能を追い求めて作り上げられた据え置き型機にしろ、ゲーム専用機は、基本的には想定される5~7年の製品ライフタイムの間は登場時のスペックのままユーザーの手元に置かれてきました。だからこそ、ユーザーは登場時の絶対性能の高低、ライバル機との性能の優劣に一喜一憂してきたのでした。

ゲーム開発側の視点に立つと、「我々のタイトルをどのゲーム機で出そうか」と考える際には「性能の高さ」よりも、「自分たちのゲームを買ってくれそうなユーザーが多そうなゲーム機」を重視して決定するのはよくある話です。

ユーザー側はこのゲーム開発元の戦略的判断で一喜一憂してきました。例えば、某国民的RPGのアレやソレや、某国民的狩猟ゲームのアレやソレがどのプラットフォームで出るかは、多くのユーザーの関心事ですし、そうした人気タイトルの続編が、先代とは異なるプラットフォームでリリースされることが決定されたりすればゲームファンの間ではなかなかの騒ぎになってきましたよね。

そして、ゲーム開発側がプラットフォームを選択して、いざゲーム開発を開始するとなれば、「性能」についても吟味する必要があります。そのゲーム機の「性能」を超えたゲーム仕様は設計できませんし、その「性能」の範囲でゲーム仕様を収めなければなりません。

具体的にいえば、例えば、グラフィックスならば、どんな材質表現システムを導入するか、影生成はどんなメソッドが有効か、シーンあたりのポリゴン数、フレームあたりのポリゴン数、描画解像度、フレームレートなどは……とゲーム機に搭載されるGPU性能とにらめっこして決められます。

AIや物理シミュレーション、アニメーションシステムは、GPGPU(※)で実践できる……といわれて久しいですが、多くの場合、GPUはグラフィックスでフル活用されてフル稼動してしまい、そうした他分野に回す性能的余力はあまりありません。となればCPUでやることになるわけですが、CPUはCPUでやることが多いので、結局のところ、ユーザーの関心の高いグラフィックス、あるいはゲームシステム上の重要度の高い要素に対して、ゲーム機が持つ性能予算を割り振ってゲームの仕様が決められていくことになります。

「ゲーム機は性能じゃない」といわれます。

確かに、「ビジネスとしてのゲームの成功」は「ゲーム機の性能」とある程度切り離して議論できるとは思いますが、ゲーム開発そのものは常に「ゲーム機の性能」を意識しなければ行えないのもまた事実なのです。

※GPGPU:General Purpose GPUの略で、意訳すれば「GPUの一般用途への流用」という意味。GPUは本来はグラフィックス描画向けプロセッサだが、その膨大な並列計算能力を、他分野においても効果的に流用しようとするソフトウェアパラダイム。

彗星の如く発表された「シンラ」システムとは?

あまり、クラウドゲーミングと関係のないような前置きでしたが、ここから話がつながってきますのでご安心を。さて、今から約1年前の2014年9月19日、スクウェア・エニックスは、同社の100%出資会社として新世代のクラウドゲーミング技術を提供する会社シンラ・テクノロジー(以下、シンラ)を設立しました。社長は長年、スクウェア・エニックス・ホールディングスの代表取締役社長を務めてきた和田洋一氏です。

シンラ・テクノロジーの社長となった和田洋一氏

「シンラ」と聞いてピンと来た人はなかなかのゲーム通です。社名のシンラは「神羅」から来ており、神羅といえば、そう、『ファイナルファンタジーVII』(以下、FFVII)に登場したFFVII世界を牛耳る世界企業の名前です。

なぜ、FFVIIからの社名引用なんでしょうか。

シンラは新世代「クラウド」ゲーミング技術を提供する企業なワケですが、クラウド……といえば、FFVIIの主人公でしたよね。そういうつながりでこういう社名になったようなのです(笑)。

さて、クラウドゲーミングについては本連載ですでに2回取り上げていますが、今回から読み始めた人のためにも、簡単におさらいしておきましょうか。クラウドゲーミングとはおよそこんな流れのシステムです。

まず、サーバー上で仮想的なゲーム機を動かし、ここで実際のゲームタイトルを動作させて、映像をユーザーにネットワーク越しにリアルタイム配信します。ユーザーはこの映像を見てゲームコントローラーを操作し、その操作データはネットワークを通じてサーバー上の仮想ゲーム機に戻っていきます。サーバー上の仮想ゲーム機はその操作データを処理してゲーム進行を更新。以降、その繰り返し……となります。

前回までの2回で「Gクラスタ」「PlayStation Now」「ユビタス」といったクラウドゲーミングサービスについて触れましたが、今回登場したシンラも含め、基本概念としてはこの流れに従ったものになります。

では、シンラが、既存のクラウドゲーミングと違っているところはどこなんでしょうか。

それは、サーバー上で動作させる「仮想ゲーム機」のアーキテクチャが既存の概念を超越したものとなっている点です。どういうことか順を追って説明していきましょう。

既存のクラウドゲームのシステムでは、例えばWindowsパソコンならば仮想的なWindowsパソコンをサーバー上で動作させて(これを「仮想マシン」といいます)、そこでゲームを動作させていました。シンラのシステムでも、同じことができなくはありませんが、シンラでは動作させられる仮想マシンそのものが「既存のゲーム機やパソコンのアーキテクチャに囚われない」という特徴を持つのです。いうなれば、シンラのシステムでは、ゲームの作り手側の、作りたいゲームの仕様に合わせて自由にゲーム機の「性能」自体を設計できるのです。

シンラ・テクノロジーのWebサイトより

例えば、グラフィックス表現について極限までリアルを追求し、同時にAI、物理、アニメーションの各サブシステムもGPGPUで処理するスーパーGPUヘビーなシステムでゲーム開発をしたいということであれば、シンラのサーバー上にGPUを10基使用できる仮想マシンを構築できます。冒頭で述べたようにグラフィックスに配慮して、AIや物理のGPU活用を遠慮しなくてもよくなるわけです。

逆に、多めのGPUに対し、CPUコアが少なくてもいい……ということならば、CPUは4コア程度の仮想マシンを設計することもできます。

シンラシステムのリアルタイム技術デモ

シンラは、実際にどのようなゲームが動かせるのかを知ってもらうためにリアルタイム技術デモを公開しています。下がその映像です。

「The Living World」と命名されたリアルタイム技術デモ。MMO並の世界規模、プレイ規模を単一のゲームプログラムで実装しているのが特徴

このデモ映像では、なんと32km×32km相当の広さがあり、アメリカのダラス市よりも広いとのことです。32kmといっても広さのイメージがつきにくいかも知れませんが、音速のマッハ1で飛んでも1分半は飛び続けられる広さ……といえば、どれだけ広いかが想像できるでしょう。

この広大な空間には100万本の樹木が植えられており、16,000体の子龍キャラが、それぞれの個別AI処理によって算出された自律行動にて飛び回っています。ゲームコントローラーを使うことで16,000体中の1体1体に視点を切り替えて、プレイヤーが好きにゲーム世界飛行を楽しむことにも対応しています。

水面の波動シミュレーション、地形の動的変形にも対応し、斜面を流れる水や岩にはちゃんと物理シミュレーションが適用されています。

実際に16,000体の任意の子龍を選択して飛び回れることができた。このデモは、最大64人同時参加のプレイができる設計になっているとのこと

驚くべきは、この広大な空間がオンメモリにて1台のマシン上の1つのゲームプログラムで動作している点です。ゲームプログラムが動作しているコンピューターの方は、CPUにIntelの16コア/32スレッドのXeon E5-2698 v3を2基搭載した32コア/64スレッド構成マシンで、物理シミュレーション専用(GPGPU専用)のGPUとしてNVIDIAのGeForce GTX TITAN BLACKを1基、搭載しています。

実際には、映像描画用にもう1台コンピューターが使われており、そちらはレンダリングサーバー的な役割を果たし、このマシンから各ユーザーに各プレイヤー視点の映像を配信することになります。こちらのマシンはCPUは前出のゲームプログラム動作用マシンと同一ですが、レンダリングサーバーという性格上、グラフィックス描画の負荷が高くなるため、NVIDIAのGeForce GTX 980を4基搭載しているとのことです。

まとめると、シンラシステムでは、クラウド側のサーバーで既存のゲームプラットフォームを「1ユーザー:1仮想マシン」として動かすのではなく、超マッシブな巨大な世界を1つ構築して、これに複数のユーザーが参加できるようなシステムが実現できるのです。

シンラではこのゲームアーキテクチャに対して「1:N」アーキテクチャと命名しています。

シンラは1:Nアーキテクチャベースの実際にプレイできる2Dシューティングゲームとして「SpaceSweeper」も発表しました。開発はシンラの技術アドバイザーを務める中嶋謙互氏。中嶋氏はオンラインゲームゲーム技術研究分野では著名なエンジニアで、著作『オンラインゲームを支える技術』はCEDEC2011の著述賞を受賞した

シンラの成功の秘けつは?

実体としてのゲーム機はないとはいえ、概念としてシンラがゲームプラットフォーム(≒ゲーム機)を持つことに相当するとおえます。しかも、そのゲームプラットフォームは、ゲーム開発スタジオ各社が開発したいゲームタイトルごとに性能をカスタマイズできるのです。

冒頭の話に立ち戻ると、シンラシステムは、ゲーム開発者がゲーム開発開始前に悩むことになる「ゲーム機の性能をどう使うか」の悩みからは解放してくれますが、「どのゲーム機で出すか」という「ゲームプラットフォーム選択のジレンマ」からは救ってはくれないかもしれません。

どういうことかというと、ゲーム開発元としては、既存の「実体のあるゲーム機」の存在を捨てて、登場したばかりのシンラシステムを選択することには勇気がいるからです。

このジレンマからもゲーム開発者を解放するには、シンラシステムが既存の実体ゲーム機や既存のクラウドゲームサービスよりも魅力的な存在になることが、シンプルかつ明解な答えとなるでしょう。

では、それにはどんな施策が考えられるのでしょうか。

冒頭の話に再び立ち戻る感じになりますが、日本で限定すれば、例えば「某国民的RPGのアレコレ」の2ブランドを有するスクエニが、最新作をシンラシステムのみに供給するとしたらどうでしょうか。シンラはスクエニ100%子会社ですから、そのシナリオの可能性がないとは1えません。実際、その2ブランドのうち1つは、クラウドゲーミングに対応していますし。まあ、まだどうなるかは分かりませんが、もし、そうなれば日本ではなかなかの「衝撃的な事件」として迎えられることになるでしょう。

ところで、2015年6月に開催されたE3 2015では、シンラシステムに参入するゲーム開発スタジオが明らかになりました。発表されたのはCamouflaj、Hardsuit Labs、Human Head Studiosの3社でいずれも海外のゲームスタジオですが、シンラシステムの特徴を活かし、広大な世界を舞台にしたマルチプレイゲームとなるようです。おそらく1:Nアーキテクチャベースのゲームになるのだと思われます。

HumanHeadがシンラシステム向けに開発するのは海洋バトルゲーム

Camouflajがシンラシステム向けに開発するのはステルスアクションゲーム

HardsuitLabsがシンラシステム向けに開発するのは生態系シミュレーションゲーム

まだ、産声を上げたばかりといってもいいシンラシステムですが、見方によっては今後の「コンピューターゲームの在り方」にまで影響を及ぼす可能性があるともいえるため、今後の動向には注目していく必要があるかと思います。