京都ぶらりひとり歩き
京都の町を1人歩いて思うことは、町の至るところに個性的で小規模なショップやカフェ、レストラン、パン屋、ケーキ屋さんがあること。今はその風景にも慣れたが、最初のうちは、「こんなに小さなお店ばかりで経営的に大丈夫なのだろうか」というものを感じた。
しかし、この3年に間に自分が行ったことのあるお店で、閉店になっているお店はなかった。おばんざいの店、レストランなどは、むしろ以前よりも予約が取りにくい店が増えた。新しい店も増えて活況を呈しており、以前よりも国内外からの観光客が増えていると感じたぐらいだ。
ミクロ経済圏の京都
経済用語で「ミクロ経済学」という言葉がある。これは、主には消費者や生産者という最小の単位の経済研究領域を総称する言葉だ。前段で書いたように、京都には小さな店舗が多く、それらの小さい店舗の経済圏=ミクロ経済圏が多く存在することでこの町は成り立っていると私は思う。
町中に点在する小規模な趣味性の高いショップ、個性のあふれる「おばんざい」の店、町家を改修したフレンチやイタリアンレストランなどが、それに当たる。中には、ランチタイムでは店主の好きなカレーを提供し、夜はベーシックなおばんざいをメニューとして提供する店舗もある。
また、京都は日本においてパンの消費量が多いといわれているが、町を歩けば必ずパン屋さんを見つけることができる。それも地場の大型チェーンから個性派まで多種多様。
かと言って、大資本の店舗がないかというとそんなことはない。おなじみのコンビニエンスストアも、もちろんある。
しかし、東京では見ることのない、モノトーンのコンビニの店頭サイン(表示)やコインパーキングも黄色と黒のあの見慣れた表示とは異なり、モノクロのサインとなっている。おそらく、それらは京都市の町の景観に準拠した政策に基づくもので、一定のトーン&マナーのもとに運営表示されていると思われる。
その意味では、京都市の管理の元、各社や各店、そして住人たちの善意のもとに管理運営がなされているのだろう。
インディーズが活躍する恵まれた土地柄
個性的といえば、大阪のミナミもとても魅力的な街。町が持つ圧倒的なパワーに負けそうな感覚があるが、京都は一歩引いていて「よかったら見て行ってください」「よかったら食べていってください」という感覚だ。
この感覚は、自身の趣味性を押し付けるものでもなく、共感者がいれば、それでいいという感覚に近いのではないだろうか。つまり、ゲームでいうところのインディーズ的なものではないかと思う。
あくまでも個人の趣味で作りました。開発しました。面白かったら遊んでください。という感覚だ。
6月26日に開催した黒川塾60(大阪グランフロントにて、GTMF共同開催)では、「インディーズゲームとビジネスの境界線」と銘打って、関西圏で活躍するゲームクリエイター、ゲームプロデューサーにゲスト登壇をいただいた。ゲストたちに共通するのは「作りたかったから作った」という動機を強く感じた。
本イベント中に、人間に五欲(食欲、色欲、睡眠職、財欲、名誉欲)は生きるための活力であるように、ゲームを作る欲、ゲームを遊ぶ欲、つまりゲーム欲が人間の行動原理であってもいいじゃないかという主旨の発言があった。ゲームのある生活は活力だ。
そして、その理解に富んだ町(いやないい方をすれば『他人のことはどうでもいい』『他人のことに興味がない』といい換えることもできるが)、関わっている当事者たちにとっては動きやすい環境ではないだろうか。
任天堂のインディーズ施策
そして、京都といえばゲーム産業に君臨する巨人、任天堂の本拠地だ。その任天堂が、5月11日にINDIE WORLD(以下、インディーワールド)というニンテンドースイッチ向けのインディーズゲームを紹介するWebサイト、ツイッターを公開した。
この施策は、ファミコンのころから始まった任天堂の対外的なアナウンス方針から大きく転換したように感じる新しい展開だと思う。
なぜなら、今までの任天堂行動規範は、クリエイターの発言や考えではなく、世に出たハードウェアやソフトウェアで、任天堂の進むべき道を判断してもらえればそれでいいというものだったと感じている。
しかし、今回公開されたインディーワールドを見る限り、SOEJIMA(ソエジマ)氏とBOKU(ボク)氏が展開するサイトとツイッターは新しいコンテンツの発掘に力を注ぐ、今までと異なる任天堂の拓かれた転換を感じる。
ゲームのミクロ経済圏の対極に位置するマクロ経済圏を確立した任天堂の新しい展開に注目するとともに、そのポータル、その土地ごとに自然発生する趣味性の高い、個性的なコンテンツに注目をしている。
(c)Nintendo