[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第5回: ブーストドラッグからの覚醒

おかげさまで日々健康に過ごすことができています。しかし、歳はとりました。白髪は増え、顔はむくみ、足腰も以前よりも段差でつまづくなど、衰えを感じます。時間と、それにともなう年月の経過は誰しも平等で、時にそれは残酷です。

一度味わうと抜けられない悪循環

私の趣味はクルマを運転することですが、愛車は1992年製造ラインのモデル。すでに路上に出て約四半世紀が経ちます。いまだに愛着があるため、手放すことは考えていません。おそらく一般的には買い替え時期を何度も逃していることでしょう。

それでも、たまに最新のクルマを運転することがあります。まず驚くのは、スイッチ類の多さです。カーナビや車内のコントロールシステムを統括するモニターを、どのように動作させるのかがわからないときがあります。エンジンのイグニッションには、カギ穴自体がなく、電磁的なタッチによってドア開錠、エンジン始動というものも当たり前です。正直、戸惑います。

それらの最新のモデルから1992年のクルマを見返したときに、その乗り心地の違い、車内の静粛性、快適性は比較のしようがありません。つまり、進化とはそういうものですし、逆にいえばそれは老化に他なりません。断然、新しいクルマのほうがいいに決まっています。ただし、きちんとメンテナンスをしたり、パーツを替えることを怠らなければ、クルマも人間も劣化や老化はある程度防ぐことができるのではないかと思っています。

さて、人間は今のところパーツの交換ができません。まぁ、あと数十年にうちに人間のパーツを作ることが可能になって、内蔵、器官系のリフレッシュというものも実現するのかもしれませんが、経年劣化を楽しむこともいい歳の重ね方かもしれません。

ずいぶんスマホ系コンテンツの話とはそれましたが、なぜ時間の経過とか健康の話に展開したのかには理由があります。

それはクスリです。

さきごろ、著名な元プロ野球選手が覚せい剤の保有と使用容疑で検挙されました。一見、華やかな世界のように見えますが、元選手がいうには「打席に立つことの緊張感や三振をしたときの球場全体からの失意のため息を聞くのが恐怖だった」という主旨の供述をしており、それらを解消するために用いたというのが現在のところ発表されている理由のようです。

ある意味でいえば、自分の価値を大きく見せて、そのプレッシャーに負けないためにクスリを使用したということになるのでしょう。

彼の行為を肯定するつもりはまったくありません。人生のステージの大きさは人によって異なりますが、それぞれのスケールのステージの上で自ら結果を出すということを求められているからです。そこで、違法なクスリに手を出すこと自体は間違った選択だったと思います。

さらに、このクスリは1回使用すると脳に影響を及ぼし、本来人間がもっていたはずの機能に障害をもたらし、クスリなしではいられないという状態に陥るようです。ゆえに、一度でもクスリを味わうと抜けられないという悪循環に陥ります。

何かに似ていないでしょうか……。

ブーストは「課金の前借り」

元選手はコンテンツであり、クスリはブーストです。元素材はもちろんいいに越したことはありません。ベースグレードが悪く、足回り、ブレーキ、シャーシ、など、元素材のバランスの悪いマシンをどんなにチューニングしてもラップタイムを縮めることはできません。

コンテンツがある程度のクオリティに達している状態で、クスリ(ブースト)施策を打ったらどうでしょうか。

おそらくインストールベースは急速に増え、ランキングは急上昇、課金率も一時的に向上することでしょう。クスリの世界でも打つことは「元気の前借り」というそうです。しかし、その後、どれだけのユーザーが残存してくれるかというのが最終的に試されるポイントです。

元選手の場合は生涯年棒が50億円想定、クスリへの依存状態は重度の中毒レベルだったといい、一般的な体力の人間だったらすでに廃人寸前だったのではないかとも報道されています。それでもまだかろうじて活動ができたのは並外れた基礎体力があったからかもしれません。

そのあたりも、資本やキャッシュフローに余裕のある会社の体質に似ています。

資本があり、ある程度のクオリティを持ったコンテンツをブーストする。すると、ユーザー登録が増え、売り上げが上がる。しかし、徐々にブーストというクスリの効力が落ちてくる、さらにクスリを増量するという循環が見受けられます。コンテンツやそれを保有するパブリッシャー側がブーストなしではいられない体質にどっぷりとつかってしまうことも考えられます。

各社各様のコンテンツや宣伝施策の1つ1つがいいとか悪いかという問題ではありません。コンテンツの場合はキャッシュフローが潤沢で、それを展開できる組織力という体力があります。

元気の前借りというよりも、課金の前借りとでもいった方がいいでしょうか。ゲームおけるブーストもガチャも同じようなものを感じます。いずれその反動はコンテンツやパブリッシャー出ることでしょう。最悪の場合、ユーザーが離脱症状を起こすこともあります。

しかし、さらにやっかいなのは、ユーザーに対してのガチャのレア排出率、コンプリート率などの部分で感覚を麻痺させる危険性もあります。自ら進んで使用したお金の用途なんだからいいじゃないかという意見もあるかもしれませんが、危険度や重篤性が理解できないユーザーがそこにのめり込んだときでもそのような割り切りができるものでしょうか。

すでにスマホゲーム市場も飽和し、寡占状態になってしまっているという意見も聞きます。単なる射幸心を煽るブースト的なドラッグやシステマチックなコンテンツではなく、よりよいコンテンツとそのコンテンツのよさを告知認識してもらう運営方向にユーザーを導くべきときが今なのではないでしょうか。

ブースト乱用防止「ダメ。ゼッタイ」です。