ナムコで活躍した伝説のグラフィックデザイナー「Mr.ドットマン」
「あの開発者はここにいた!」の第3回目にご登場いただくのは、「Mr.ドットマン」の異名で知られる小野浩氏。
ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)の在職中には歴代のビデオゲームやエレメカゲーム、メダルゲームに至るまで、数多くの名作のビジュアルデザインを手掛けたグラフィックデザイナーである。
ドット絵を描かせたら天下一品! その名声は、多くのゲームファンはもとより同業者たちからも尊敬を集める、まさに伝説のゲーム職人である。
今回はMr.ドットマンのデビュー当時のエピソードから、つい先日開発に参加した『タッチ・ザ・マッピー 復活のニャームコ団』の逸話まで、たっぷりとお話を聞いてきた。
小野浩氏 プロフィール
1979年にナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)に入社し、『ギャラクシアン』『ラリーX』『ゼビウス』『マッピー』など、同社のタイトルのCGや筐体デザインを長年にわたって数多く担当した。2013年に退職し、現在はフリーランスで活動中。
Mr.ドットマンの誕生! グラフィックデザイナーのタマゴがなぜゲーム会社へ?
――小野さんがドット絵に興味を持った、そもそものきっかけは何だったのでしょうか?
小野浩氏(以下、小野):今振り返ると、子どものころに通っていた銭湯でタイル画をよく見ていたのが原点だったのかもしれません。
――ああ、確かに! あれドット絵ですね。
小野:最近はスーパー銭湯ばかりで昔ながらの銭湯がすっかりなくなってしまい、さみしくなっちゃいましたね。
そうそう、タイル画というのは男湯と女湯の間の壁にある絵のことで、銭湯に入って正面にあるのはペンキ画で、実は別のものなんですよ。
――Mr.ドットマンの原点は銭湯でしたか! 以前お聞きしたところによると、デザイン専門学校時代の卒業制作もドット絵がテーマだったとか?
小野:ドット絵ではないのですが、正方形でいくつかのパターンを作り、それを使った大きなモザイク画のような絵を描きました。
ゲームの背景などを作るときと同じやり方ですね。ちなみに『ゼビウス』の地上絵もこの方法で描いたんですよ。
――グラフィックデザインの勉強をしていたのに、なぜゲーム会社に入ろうと思ったのですか? 入社の経緯を教えてください。
小野:モノ作りがずっと大好きで、卒業を控えた年の秋ぐらいにおもちゃ会社の入社試験を受けたのですが、落ちてしまったんです。
当時は学校の卒業作品展の実行委員も兼任していて、それが忙しくて試験に落ちた後、卒業間近までまったく就職活動をやっていませんでした。
どうしようかと焦っていたときに、たまたまお世話になっていた教務の先生にナムコを紹介されたのがきっかけで、試験を受けることになりました。
――では、最初からゲーム業界志望というわけではなかったんですね。
小野:そうです。当時はちょうど『スペースインベーダー』が大ブームになったころで、みんなで喫茶店とかゲームコーナーで夢中になって遊んでいた時代でした。でも、自分でゲーム業界を意識したことはなかったですね。
徹夜で卒業作品を作りながら、ブロック崩しやテニスゲームなどでよく遊んでいましたが、ただ遊ぶだけで自分で作るなどという考えも全然なかったです。
――で、ナムコの入社試験を受けたら合格したので入社を決めたと。
小野:はい。卒業直前の2月か3月ぐらいにナムコのデザイン課に作品を持っていったら、いきなり社内を案内してくれたんですよね。
それで、しばらくして試験を受けに来てくださいと連絡があって、筆記試験と面接を受けて入社したわけです。
当時、ナムコはまだあまり世の中に知られていない会社で、名前のよく似た別の会社に間違われたりしてね。あと、社名が電話で伝わりにくいとか(笑)。
――入社当時はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
小野:基本はもちろん開発の仕事です。しかし、私がいたデザイン課では、ほかにも業界紙向けの広告やカタログなど、デザイン全般の仕事をいろいろやっていました。
何でもやる「便利屋さん」みたいだと思ったりもしましたが、今思うとすごく勉強になりましたね。
入社間もないころは、お手伝いみたいなことが多かったです。
例えば、当時はデジタルではなかったので、上司がラフを描いた『ギャラクシアン』のタイトルロゴをカラス口や溝引きなど使って清書をしたり、インストカード(※)の版下デザインをやったりとか。
※インストカード:ゲームの筐体に貼付する、遊び方や料金を書いた説明の紙。「インスト」はインストラクションの略。
――昔はロゴも、手書きの版下で作っていたんですね。
小野:それから当時は、ロケテスト(※)の前になるとサンプルとなる1台の筐体を手作業で作るのですが、その飾り付けなどもやっていましたね。
で、『ギャラクシアン』の開発が進んでいくうちに、ドット絵も描いてよということで、最初はデザイン課のメンバーが全員でキャラクターのドット絵を描いたこともありました。
※ロケテスト:完成前のアーケードゲームを実際のゲームセンターに設置して、試験的に稼働させること。
――ドット絵だけでなく、筐体のデザインもされていたんですね!
小野:アップライト筐体の場合は。左右の側板、モニターの周り、上部の看板とインストカードなどをデザインするんですよ。
ほかにも、板の厚みの部分のモール、キャッシュボックスやレバー、ボタンの色をタイトルごとに検討したりしていました。
まずは模型を作って検討してから、ロケテストで様子を見て完成させていくわけですね。
今思うと、専門学校で学んだことがほとんど役に立っていなくて、現場で先輩たちの真似をしながら仕事を覚えていったんですよね。でも「見て」「盗んで」というのは、すぐに身になる気がしてとても楽しかったです。
――当時の開発スタッフは何人ぐらいいたのでしょうか?
小野:入社当時はグラフィックデザインの担当が4人と、インダストリアルデザインが3人ぐらいだったと思います。そのうち1人は課の上役なので、実務はやらなかったですけれど。
――昔は少人数だったんですね……。
小野:昔は自分1人だけで、いろいろなタイトルを同時に作っていましたよ。確か、『ディグダグ』『ギャラガ』『ボスコニアン』の3タイトルを同時にやっていた時期もありました。
特に、『ギャラガ』と『ボスコニアン』はどちらも宇宙ものでしたから、どうしてもデザインが似ちゃうんです。
そこで、『ギャラガ』の場合はとにかく撃つゲームなので機体はシャープなデザインにして、『ボスコニアン』(※)は宇宙空間をずっと移動しながら敵の基地を探して撃つゲームだったので、長く飛べそうなデザインにして違いを出しました。まあ個人の主観なんですけどね。
※『ボスコニアン』(1981年):レーダーを見て敵の基地を探し出し、全部破壊するとステージクリアとなるシューティングゲーム。
――その昔、ナムコが直営のゲームセンターで配布していた小冊子の『NG』(※)では、小野さんが「Mr.ドットマンのキャラクター講座」の先生役で登場していますが、このコーナーが始まるきっかけは何だったのでしょうか。
※『NG』:1983~93年まで全52号を発行。新作ゲームや直営店の紹介だけでなく、読者のイラストや同人誌などを紹介する投稿コーナーも存在した。
小野:社内の「INTERFACE」という開発部署のスタッフが作るページの中で「何かやってくれないか」といわれたのがきっかけです。このときに初めて、Mr.ドットマンという名前が付きました。
――ちなみに、Mr.ドットマンの呼称はご自身で考えたのですか?
小野:いいえ、自分で名乗ったものではないですし、誰が名前をつけたのかもよく覚えていないんです(笑)。結局、キャラクター講座のコーナーは長続きしなかったのが残念でした。
『ラリーX』と『ニューラリーX』の間には意外な違いが!
――やがて小野さんがキャリアを積んで、1人でドット絵を任されるようになった最初のゲームは何だったのでしょうか?
小野:たぶん『タンクバタリアン』とか『ワープ&ワープ』(※)のあたりからですね。
当時はまず方眼紙に絵を描いてそれをプログラマーに渡すと、しばらくしてから画面の中央に1個だけそのキャラクターが現れるんです。
それを見て、うまくできていたら出来上がり。
ですが、もし「目の位置を1ドットだけでも動かしたいな」となったら、また10分ぐらいかけてやり直しになるんですよ。今思うと、プログラマーも大変でしたね。
※『タンクバタリアン』(1981年):タンクを操作して、味方の司令部を守りながら敵の戦車を破壊していくアクションゲーム。
※『ワープ&ワープ』(1980年):ファイターを操作し、ガンや時限爆弾で敵のモンスターを倒していくアクションゲーム。
――ドット絵の場合ですと、キャラクターのアニメーションは何パターンかの絵を用意して、それを交互に表示させる仕組みですよね?
小野:そうです。例えば『パックマン』の場合は、パックマンが口を閉じた絵と開いた絵の2種類だけですと、動きが極端過ぎちゃうんです。
そこで、口を中間まで開いたパックマンの基本形となる絵をもう1枚用意して、合計3パターンを順番に描きかえることで滑らかに動くようにしていました。
敵のゴーストは2パターンですけどね。
――当時のアーケードゲーム基板では、キャラクターの色は何色まで使えたのでしょうか?
小野:『ギャラクシアン』のころは3色、透明も入れて4色まででした。背景が黒いゲームが多かったので、この透明を利用して黒を表現することができました。プラス1色分ですね。
ただ、そのせいでキャラクターのバックに何かが重なったりすると、黒い部分はそのまま抜けて後ろが見えちゃうんです。
それがうまくいったのが『ボスコニアン』。敵の基地に窓が開いていて、そこが透けているので、バックの星が流れているのが見えるんです。
もっとも、こんな小さいところなんて誰も見ていなかったでしょうけど(笑)。
――昔のゲームのキャラクターは、基本16×16ドットでデザインしていましたよね。
小野:はい。ただし、爆発パターンの絵を出す場合は、そのキャラクターよりももっと大きくする必要があるんです。
確か最大で32×32ドットぐらいのサイズにしていたと思いますが、それでも当時はすごく大きいなと思っていました。
しかも、爆発の絵は具体的な形がないわけですから、いつも考えるのが大変でしたね。
――『ギャラクシアン』や『ギャラガ』では敵が回転したりするので、そうなるとパターンをたくさん用意する必要が出てきて、デザインもかなり難しかったのではないでしょうか?
小野:でも、そんなに作るパターンの数は多くなかったですよ。
例えば『ギャラクシアン』では、0° 15° 30° 45°のパターンさえできれば、あとはそれをひっくり返して使って360°回転する動きが作れますからね。
『ギャラガ』やほかの回転パターンも基本的にこれと同じやり方です。
――当時のゲーム開発では色数やプログラム容量など、ハード的な制約のもとでデザインを考えなくてはいけない点も苦労されたのでは?
小野:絵の大きさとか色数とかの制限というものは当然ありますし、個人的には「与えられた条件でいかにいいものを作るか」という考え方が第一にあるので、大変だとか困ったとか思ったことは特にないですね。
むしろ、それが快感になってくるんです(笑)。
それよりもゲームソフトのパッケージや、取扱説明書を作る方が大変でしたね。
――小野さんがこれまでに担当されたゲームのなかで、特に印象に残っているタイトルは何かありますか?
小野:『ラリーX』は印象に残っていますね。最初の『ラリーX』はすごくルールが難しくて、すぐゲームオーバーになっちゃうので、社長からも「もっとやさしくしてくれ!」という指示がありました。
そこで、急きょラッキーフラッグを追加したり、にぎやかな音楽を付けたりした『ニューラリーX』を作ったんです。
その時に、車のデザインも変えてやろうと思ったんです。
ゲームを新しくするなら、デザインもちょっと新しい感じにしようということで、車にサイドポンツーンみたいな出っ張りをちょっとだけ付けました。
最初の『ラリーX』の車は、葉巻型の古いF1カーみたいなデザインでしたけどね。
――そうだったんですか! 当時遊んでいたことがある人でも、『ラリーX』と『ニューラリーX』とで車のデザインが違うことは、意外と気づいていないかもしれませんね。
小野:以前ユニクロから『ラリーX』のコラボTシャツが発売されたことがあって、商品タグには『ラリーX』と書いてあるんですが、袖の刺繍を見ると『ニューラリーX』の車なんですよね。
「タグ間違ってるじゃん、ちゃんと表示しろよ」と(笑)。
――やがてグラフィック技術が進化して、2Dからいわゆるポリゴンを使った3Dの時代へと移っていきます。3Dの絵が増えてからは、主にどんなお仕事をしていましたか?
小野:1989年まではビデオゲームの開発部署にいたのですが、その後エレメカ開発の部署に異動しました。そこで10年ほど、エレメカやアーケードのメダルゲームのデザインをしていました。なので、3Dの絵はまったくやっていません。
――ビデオゲーム以外にもいろいろ担当されていたんですね。
小野:いろいろやりましたよ。エレメカであれば『ゴーリーゴースト』とか『バブルトラブル』(※)、キッズ用のメダルゲームですと『鉄拳バトルスクラッチ』とか『ファミスタグランドスラム』『ガンバレットフィーバー』あたりですね。それから、『カーニバル』では盤面のデザインなどもやりましたね。
※『ゴーリーゴースト』(1991)、『バブルトラブル』(1992):いずれもビデオ映像とジオラマを合成した、独特の画面構成が特徴のガンシューティングゲーム。
それからキッズ用の乗り物の『ばーがーしょっぷ』では、設計から何から全部自分でやりました。イメージスケッチを描けばそれを図面にしてくれると思っていたら、「図面もキミがやるんだよ」ってサラッと言われてね。もう大変でしたよ(笑)。
小野氏が手掛けた最新作『タッチ・ザ・マッピー』の制作秘話!
――小野さんがケータイ用のゲームやコンテンツ開発を担当するようになったきっかけは何だったのでしょうか?
小野:iモードが出始めた時に、お手伝いを頼みたいと別の部署から言われたのが最初のきっかけです。当時は画面にまだ1色しか出せなくて、1色でドット絵を描ける人がいないということで、私に声が掛かりました。
――そうなると、真打・Mr.ドットマンの出番ですね!
小野:その部署で2カ月ほどお手伝いをしてからもとの所属に戻ったのですが、しばらくして新しく携帯コンテンツの部署ができ、スタッフの社内公募を実施することになったんです。
私も手伝った手前、応募しないとマズイのかなと思って上司に相談したら、「大丈夫、お前の名前はもう入っているから」と言われて、異動が決まりました(笑)。
その後は退職までずっと携帯コンテンツの部署にいました。
――初期のiモードの時代から開発をしていたということは、携帯ゲームの分野でもまさに大御所ということになりますね。
現在はフリーランスで活動されていますが、先日より配信が始まった『タッチ・ザ・マッピー 復活のニャームコ団』(以下、タッチ・ザ・マッピー)のグラフィックデザインも担当されたとうかがいました。
小野:プロデューサーの方から、ぜひお願いしますとお声掛けをいただきました。
もとの『マッピー』のデザインもやっていましたし、何より「ドット絵が描けるんだから、やるしかないでしょ」ということで、お引き受けすることにしました。
――オリジナル版の『マッピー』とは、キャラクターのデザインに何か違いはあるのでしょうか?
小野:昔と同じ16×16ドットで作ってほしいというリクエストがあったのですが、マッピーは警部になってちょっと偉くなったという設定でしたので、どうしようと悩んだ結果、制帽を強調したり、よりポリスっぽいデザインにしたりしました。
制服の色もちょっと濃くなっているんですよ。
また敵のニャームコは、元々はマイクロマウスというロボットのキャラクターだったので、それに近づけようということでデザインしています。
それから、お屋敷の屋根は前作との差別化ということで、模様を入れて見た目の雰囲気を変えてみました。ちょっとゴージャスに見えますかね。
他にも、床の絵などを微妙に変えてはいるんですけど、もともとの出来がよかったので、そんなにいじる必要はなかったですね。
ちなみに、ドアはよく見ると1ドット分だけ影を付け足してありますよ。
――『タッチ・ザ・マッピー』では、以前はモナリザだった得点アイテムが浮世絵になっていますね。
小野:これは本来、このゲーム向けに作ったものではないんです。
自分の今の感性で、『マッピー』の開発当時と同じ条件でドット絵を描いたら、どんなものが描けるかなと思って挑戦したもののひとつなんです。
――ところで、小野さんは普段どのようなスマホゲームを遊ばれていますか? 何か注目しているタイトルがあれば教えてください。
小野:『キャンディマニア』がけっこう好きですね。アクションゲームは電車の中などではあまりできないので、クロスワードパズルみたいな、のんびり遊べるものが好みです。
それと、『あいつ、7の段できるってさ』(※)というゲームは、いったん始めるとついつい夢中になっちゃいます。
※『あいつ、7の段できるってさ』:ランダムに表示された数字の中から、九九の掛け算の「7の段」だけを選んで消していくパズルゲーム。『タッチ・ザ・マッピー』をプロデュースした鈴屋とヒューマンアカデミー大宮校ゲームカレッジのコラボ作品。
――『タッチ・ザ・マッピー』の今後の展開予定についての質問です。例えば。追加データの配信ですとか、イベントを実施する予定などはありますか?
小野:新しいギミックを入れた、追加ステージの配信を準備しているところです。15ステージをクリアすると見られる開発秘話や、10ステージクリアごとに見られる「コーヒーブレイク」の新作も追加する予定ですので、ぜひ楽しみに待っていてください。
――それでは最後に、『Game Deets』読者の皆さんにメッセージをお願いします。
小野:『タッチ・ザ・マッピー』のパッケージイラストやコーヒーブレイクは「いかにもドット絵を強調して、レトロゲームらしく作ってほしい」というリクエストを受けて、自分なりに頑張って作ってみましたので、ぜひ見ていただきたいですね。
コーヒーブレイクは全部で6種類、開発秘話の方は7種類ありますので、こちらもぜひ注目していただけたらうれしいです。
取材を終えて
ナムコの小冊子『NG』の連載コーナーなどを通じて、ビデオゲームのキャラクターや背景はドット絵で描かれているということを世に知らしめ、そして多くのゲーム大好きっ子にゲーム開発の仕事に興味を抱かせた小野氏。
入社当時はビデオゲームがまだ黎明期であり、「前例がなくて、すべて自分で試行錯誤しながらドット絵を描いていた」という。
この世に存在しないものを新たに生み出すためには、きっと想像を絶するご苦労があったと思われる。
しかし、「大変だったが何より楽しかった」と語っていたのは、まさにMr.ドットマンの面目躍如たるものだろう。
その功績は計り知れず、日本のゲーム史上に残る未来永劫語り継ぐべきレジェンドである。
現在配信中の『タッチ・ザ・マッピー』では、各ステージでパーフェクトクリアに成功するとパーツが手に入り、同じ種類のパーツを15個集めると懐かしのファミコンソフトのパッケージデザインを模したイラストが完成する。
筆者は初めてこのイラストを見たときに、どうしてスマホの小さな画面でこれだけの細かい絵が描けるのかと本当に感動した。
本作をプレイする際はゲームの本編はもちろん、Mr.ドットマンならではの職人魂によって生み出された、至高のグラフィックスの数々もぜひ堪能していただきたい。
(C)1995 BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
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