[黒川文雄のゲーム非武装地帯] 第24回: 任天堂の最終兵器『スーパーマリオ ラン』

1985年(昭和60年)9月13日発売以来、31年に渡って任天堂のコンテンツを支え走ってきた『スーパーマリオブラザーズ』が、『Super Mario Run(スーパーマリオ ラン)』(以下、マリオラン)としてスマホに間もなく(12月15日配信予定)誕生する。時代の流れのなかでは当然のことだろう。

事前登録2,000万人という期待値

「任天堂がスマホで商売なんて(……ありえない)」的な発想は、この期に及んでないと思いたい。

仮にあるとしたら、革新は見いだせないだろうし、営利と発展と新しいエンタテインメントを求める企業としては当然のこと、営利商売と伝統文化の維持は異なる。

マリオランへの期待は、配信前から高まる一方だ。

任天堂の決算発表では、すでに事前予約登録者(通知ボタン仕様)が2,000万人を超えたという。

このところ、スマホ系ソシャゲの事前登録は伸び悩む一方で、10万を超えれば「よくがんばった」ともいえる中で、この数字は驚異的な値であり、ユーザーの期待値は最高潮といってもいいだろう。

最終兵器マリオ

この期待値マックスの「マリオ」が登場するということは、任天堂が「最終兵器」を持ち出したということではないだろうか。

大手ゲームメーカーは数あれど、マリオのように世界中に認知されたキャラクターは、そうそうない。

たとえば、セガには「ソニック」がいる。しかし、マリオの認知度やキャラクターとしての商売の幅で見たら、キャラクター格差は大きい。

他メーカーに目を移すと、バンダイナムコにはPACMAN(パックマン)が象徴としてよく紹介されるが、マリオほどのキャクタービジネスは成立していない。

つまり、ゲームメーカーの中での「マリオ」は特別なキャラクターであり、任天堂が繰り出すロイヤルストレートフラッシュのようなものだ。

このことは、11月10日に発売された「ニンテンドークラシックミニ ファミリー コンピュータ」に収録されたゲームラインアップからもわかると思う。

しかし、31年間に渡って任天堂を支え続けたマリオがそこにいること。そして、マリオに頼っているキャラクター施策は否定できないだろう。

横スクロールゲームなのに縦持ち仕様

マリオランの画面写真とデモムービーが公開されたときに少々驚いたのは、画面が縦持ち仕様だということだ。

横スクロールのアクションゲームとして認知度の高い「マリオ」シリーズを、あえて縦持ち仕様にしたというその真意は開発者の後日談に期待するしかないが、おそらくは「片手で遊べることを前提に考えた結果そうなった」という経緯に落ち着くのではないだろうか。

もう1つの要因は他のアプリとの連携を考えているということだ。

すでに発表されている内容の中では、今春に導入されたMiitomoとの連携がある。

Miitomoのフレンド、プレイヤーをそのまま招待したり、その招待したフレンド、プレイヤーと対戦するモードもあるという。

たとえば、Miitomoと連動する際に、いちいち画面を横にしたり、縦にしたりという面倒くささを排除することも理由にあるのかもしれない。

個人的に思うのは、Miitomoそのもののブレイクスルーが進まない中で、マリオランとの相互作用で活性化が期待できるのではないだろうか。

Nintendo Switchとの共存は

しかし、気になることもある。それはNintendo Switch(以下、NS)とのコンテンツ共存がどのようになるのかという点だ。

このコラムで以前に書いたように、NSは持ち運び可能で通信可能なデバイスである。その大きさは、スマホ本体と比較してふた回りほど大きいと予測する。NSは移動しながら、もしくはアウトドアもインドアも両方をカバーすることが公式ムービーからもうかがえる。

もちろん、同じマリオをテーマにしてもバージョンやゲームの遊び方やテイストを変えればそれは解消できるのかもしれないが、プレイヤーが分散したり、コンテンツそのものの価値が毀損されないだろうか?という疑問がある。

再定義の最終回答か?

岩田聡氏亡き後、ビジネスとしてのエンタテインメントのあるべき姿を追求する任天堂が行った再定義、その回答ともいうべき、スマホ向けマリオをコンテンツ最前線・最終兵器とするならば、NSは任天堂として玩具メーカーとしての最後の砦か、それとも捨てられない矜持なのかも知れない。

「マリオ」よ、君が走りを止める日はまだまだ来そうにない。これからも我々を楽しませてほしい。